日本酒のルーツ 神々の酒
日本酒の源流は出雲に有り
 出雲地方は、山陰地方の中部にあり、日本海を挟んで中国大陸に面しており、古代から黒潮(対馬暖流)に乗って大陸から様々な文化、技術が伝えられてきました。水稲稲作文化も大陸から伝わり、日本酒造りの源流も農耕文化とともに渡来し、日本で黄麹菌を使用した独特の日本酒に変化したものと推定されます。

 出雲地方では、縄文時代の遺跡はもとより一万年以上前の遺跡も数多く発掘されていることから解るように、当時から豊かな住み良い環境であったことに加え、早くから大陸の文化を取り入れ、農耕、鉄など優れた産業が発達し、「古代出雲帝国」と呼ばれる一大勢力圏を作っていました。
 
712年に『古事記』、720年に『日本書紀』が中央政府によって編纂されています。その『古事記』の上巻、『日本書紀』の神代巻の半分までが出雲とその周辺を舞台にした出雲神話で占められています。

 その中に八岐大蛇(やまたのおろち)という大蛇退治の話がでてきます。須佐之男命(すさのおのみこと)が出雲国で
八塩折(やしおり)の酒を造り、大蛇を酔わせて退治しました。大蛇の尾からでてきた都牟刈(つむがり)の太刀は『天叢雲の剣』(あめのむらくものつるぎ)として皇位継承の三種の神器の一つになっています。
 この大蛇を酔わせた八塩折の酒とは、いったん熟成した醪を搾って濾別した酒でさらに仕込むという作業を繰り返した酒で、非常に高度な技術を要します。また、当時の人たちがこうすることで、濃醇な酒ができることを知っていたことになります。
 今日の出雲地方の酒も比較的濃醇であるという共通性に数千年の時代を超えた文化を感じさせます。


時代を超えて受け継がれる古代の酒

一般に旧暦の10月は神無月と云われるが、神々の集まる出雲地方では神在月と呼ばれます。その集まる先は日本最古の社殿様式の出雲大社で、「大国主大神」が祭られており、縁結び、福の神、農耕の神、酒の神として親しまれています。
 ここでも毎年、神事とともに一夜酒と呼ばれる酒が仕込まれます。

 この地方でもう一つ、酒神の祖として祭られているのが『出雲風土記』に登場する佐香神社(松尾神社)です。『出雲風土記』には佐香に神々が集まり、飲食物を煮炊きする調理場を建て、酒を造り、半年にわたり酒宴をしたという記述があります。
 この佐香神社は今日でも酒造りが行われており、毎年10月13日には10時から本殿横に設けられた祭壇で「湯立て神事」を行った後、出雲杜氏などから出陣式の祭典を受け、濁酒をいただき、その年の酒造りの安全と成功を祈願しています。




日本有数の酒米産地‥奥出雲

 酒米は昔から「酒米買うなら土地を買え」と云われ、山と山に囲まれた昼と夜との温度差の大きい谷間の、粘土がかった水はけの良い棚田が最適とされます。奥出雲と呼ばれる雲南三郡(仁多・飯石・大原)は、この条件を満たし、突出した品質と生産量を誇っています。この地域は自然条件もさることながら、酒米をわがことのように守り続けてきた人々によって今日の酒米の中心地となっています。
 現在、改良雄町、五百万石、幸玉、改良八反流、神の舞が栽培され、佐香錦が研究開発から本格栽培へと進められています。

出雲杜氏
 出雲杜氏とは、もと秋鹿郡地方(松江市秋鹿町)より出た杜氏の総称です。秋鹿杜氏の起原はつまびらかでないが、今から百数十年前と考えられます。
 従来は一子相伝的に継承されてきましたが、明治以降、組織だった研修法として酒造講習会が開催され、1916年には秋鹿杜氏組合が創立します。後に出雲杜氏組合と名称を改め、現在まで講習会が続けられています。


この地に脈々と伝わる文化、國暉酒造に伝わる酒造りの魂をどうぞご賞味下さい。
                            
                    
                              
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